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2008年12月

地獄と極楽ツアー

先日、ある所で、興味深い話を聞いた。

「地獄と極楽はどこが違うか?」ということをテーマの

何かの本に書かれてある 地獄・極楽ツアーが行なわれたという設定での話だ。

bus ツアーの最初の行き先は地獄。

参加者は頭の中に「血の池地獄」「灼熱地獄」等を思い浮かべながら、それでも恐いもの見たさに、ある意味、ウキウキと地獄へと向かった。

しかし、いざ、地獄へ着いてみると、目の前にある地獄の様子は、花cherryblossomも咲いていれば、鳥chickもさえずり、実にのどかな風景だった。しかも、おいしそうなご馳走もふんだんにあり、何不自由ない世界のように思えた。しかし、そこに住む人は誰もが飢餓に悩む人々だったというのだ。

何故なのか?

それは、ご馳走を前にしていても、そこの住人達は皆、自分の腕より長い箸を持たされ、折角のご馳走を前にしても、誰もそれを自分の口に運ぶことが出来ず、空腹を満たすことが出来ず、いらだちのみが充満し、失望感が漂っていたのである。

ツアー参加者はそれを見て「あんな箸を持たされてたんじゃ、折角のご馳走も、なんにもならない。もう何日も食べていないだろうに・・・

『あれじゃ、まさに地獄だよ・・・』と口々に同情の言葉を発しながら、地獄を後にした。

次なる目的地 bus は極楽へと向かった。

そこも、やはり、花cherryblossomが咲き、鳥chickのさえずりも聞こえ、ご馳走もふんだんにある、さっき見た地獄と変わらない光景で そして、極楽の住人達の持つ箸も、さっき見た地獄のものと同様、自分の腕より長い箸であったというのだ。

それでも、極楽界の住人達は全員が楽しそうに笑いsmileながら、食事をしている。空腹に悩む人など何処にもいない。

さっき見た地獄とどこが、何が違うのかsign02

条件は同じ ではないか。。。しかし、彼らの食事の仕方が、地獄に住む住人達と明らかな違っていたのだ。そこの住人達はその長い箸を、自分の口に食物を運ぶのではなく、それぞれ、前にいる人、横にいる人の口に運ぶ為に使っていたということである。腕より長い箸は自分の口に運ぶには不便極まりないものだが、人の口に運ぶには、これほど便利なものはない。

そうしてお互いがお互いの口に食物を運び、誰も空腹に悩むこともなく、周囲の花を愛で、鳥のさえずりを心地よく聞き、幸せな毎日を送っている。               私が聞いた話はそんな話だった。。。。

私はその本を読んでいないし、主観を交えて聞いたので内容がひょっとして違うのかも知れない。それでも、人の為にする行為の尊さは昔から言われている。

人の足元を照らせば、自分の足元も明るくなるとか、

情けはひとの為ならず、巡り巡って我が身の為・・・とか

腕より長い箸を持たされたことを不便とするか、便利とするか、その人の使い方ひとつで、どうにでもなるのである。そして、いつも自分のことしか考えていない人間と、何か人の為になることはないかと考えている人では、その箸の使い方に対する

智恵の湧き方が違うのだろう。

昨今の世間を震撼させる不況という現実。。。

誰もが同じ条件のもと、それでも前へ進んでゆかねばならない状況に立たされている。小なりとも会社を経営する我が身としては、この時期、気になるのは収益性である。仕事がないならないで先行き不安、あったらあったで薄利に、いいようのない絶望感を味合う。しかし、こんな時こそ自分優先の思いに捉われる我が身を反省すべきではないかと思ったりもする。

思いひとつで

この不況が自分を不幸にもすれば、幸せにもするのだろう。

百年に一度といわれるこの金融不安は、人が人の心を失ったかの如く、独り占めの利益を追求し続けたツケとして起こったように思えてならない。この不況の中、どうあがいたところで、空転するのなら、自分のことはさておいて、人の為に尽くすという思いを前面に出して進んでみようかと、しおらしいことを考える今日この頃ではある。

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人生の坂

よく言われることだが、人生には3ツの坂があると・・・

ひとつは上り坂、もうひとつは下り坂・・そして最後のひとつが「まさかeyeという

「坂」bleahであると。

確かに、まさか、こういうことになるとは!という局面に出くわすことは多い。

いい意味でも悪い意味でも、この、まさかの局面に左右されるのが人生というものなのだろう。折角、上り坂を上っていたのに、まさか!の事態で急転直下もあるだろうし、逆に、まさか!という幸運で急遽、上り坂に転じることも多い。

予想もしなかった事態だから、まさか!なのであって

想定内でのハプニングは「まさか」ではなく「やっぱり!」なのである。

前回も書いたが、急に襲いかかってきたこの不況。私は案外、悲観していないと書いた。この、まさか!という幸運に出会えると信じているからである。

この、まさかという局面は偶然にくると考えるところに間違いがあるのではないかと、私はいつも思う。必然的に、来るべくして来るのが、この、「まさか」ではないだろうか。意識こそしていないが、自分が作り出しているものではないかとすら思うのだ。

「因果応報」といえば、妙に仏教っぽいが

原因があって、結果がある。自然の理である。

自分の来し方を、つらつら思うに、自分では気づかずに作り上げたひとつの因が、まさか!という事を引き起こした例は多い。それは、今になって思うことである。catface

上り坂も下り坂も周囲の環境によって作られ、単に振り回されているだけのような気すらする。

それに反して、この「まさか」という事こそが、自分の作り上げた坂ではないかということを思うとき、私はこの「まさか」を「真坂」と呼びたくもなったりする。

この「まさか」に出くわすことを楽しみに楽天的に前進してゆきたい。

この「まさか」の幸運に出くわす為に必要なことは

・明るく進むこと

・諦めないこと

・今、目の前にある仕事を文句を言わずに着実にこなしてゆくこと

だと思ってる。

「それだけでェ~?」と人に言われそうだが

これが結構、今の時期、至難の技 なのである。good

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