大変なとき PART②
大きく変わると書いて、大変と読む・・・と先日、このブログに書いた。ついでに言うと、その大変なときというのは、その人にとって偶然くるものではなく、必然的にくるものだと、私は思っている。更に、その大変さは、その人にとって、それに出くわすこと自体が必要だったのではないかとすら思っているのだ。
大変さにも、いろいろある。発展する為の大変さは何とか我慢できる。明るい明日に向かって、ただひたすら進めばよい。
問題なのは、そうでない大変さに出くわした時である。踏んだり蹴ったりの状況、何をしても裏目、裏目に出る状況、何で自分がこんな災難にあわねばならないのか、という状況・・・
私も長年、事業を行なってきて、いろんな目にあってきた。不渡り手形をつかまされたこともある。一瞬にして、顧客を失ったこともある。そんな時の大変さというのは、未来永劫に、この状況が続くのではないかと絶望的になる。
しかし、いろんな難に会ってきて、又、難に会う人を見て、断言してもいいと思えることは、その人にとって、乗り越えられない難は来ないということである。
確かに万事休す!と思える局面がある。「絶対、無理!」「絶対、不可能!」と思うこともある。
しかし人間というものは、私も含めていえることだが、「無理だ!」「不可能だ!」という理由を見つけることには、実に迅速なスピードで対応する。そして、「無理」な理由を述べることに実に雄弁に語ることが出来る。
しかし、そうではないのだ。乗り越えられない難は来ないという観点からすれば、絶対に乗り越えることの出来る方法論というものは存在する筈だし、人間というもの、難を乗り越えることが出来るようになっている筈なのだ。
そこに智恵が湧く。何としてでも!と強く思い、挑戦してゆくところに智恵が湧く。
世の中には「知識」はあるが、「智恵」のない人が多く存在するような気がする。
知識と知恵は違う。。。知識は一杯あるに越したことはないのだが、生き抜いてゆく上で、肝心なことは潜在能力として眠っている可能性、つまり「智恵」を掘り起こし開花させていくことである。
大変なときというのは、大きく変わる時であるには違いないのだが、その確かな智恵を身につける絶好のチャンスであるような気がする。
従って、一流の人は大変なときに遭遇した時を、人生の変換期と捉え、むしろ喜ぶ。。。
愚かな人はその道理も理解できず、人のせいや環境のせいにして、嘆き、愚痴に終始しているのだろうと思う。
大変な時を、むしろ喜び、楽しむ自分でありたいと、いつも思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント